大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋高等裁判所 昭和43年(ネ)748号 判決 1969年7月30日

主文

原判決を取消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴人両名訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、被控訴人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張、証拠の提出、認否は左記のほか原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

控訴人寺野訴訟代理人は次のように述べた。

「控訴人寺野は昭和三七年九月末ごろ破産者両名から被控訴人主張の土地を、昭和三九年二月同建物を譲受け、所有権を取得したものである。すなわち、昭和三七年九月末ごろ控訴人寺野は見田千代子に一、〇〇〇万円ほどの貸金があつたが、さらに一、〇〇〇万円の貸与方を見田千代子から申込まれたので、これら取引から生じる債権担保のため、見田千代子、鐘一共有の前記土地とその上に見田が建築を予定していた建物とを、その代金は後日協議決定することにして、控訴人に売渡す、ただし、見田両名は右土地、建物を買戻しうる約で控訴人に売渡担保とした。これにより、控訴人寺野は右土地は同日、建物はその完成した昭和三九年二月各その所有権を取得したものである。その当時見田鐘一、千代子は経済的信用に欠けるところなく、支払停止などありもしなかつた。従つて、控訴人寺野に他の債権者を害する意思などあるはずもない。」

証拠(省略)

理由

成立に争のない甲第一号証の一、二、原審証人見田鐘一の証言(第一、二回)で成立の認められる乙第一号証、第四ないし二七号証、原審、当審での証人見田鐘一の証言、原審での証人堀錥夫、鶴田清の各証言、控訴人寺野本人尋問の結果(第一、二回)を総合すると、次の事実が認められる。

すなわち、見田千代子は呉服行商を、その夫の見田鐘一はその手伝をしていたが、控訴人寺野は千代子の得意先でもあり、また商売を離れてのつきあいもしていた。控訴人寺野は昭和三六年一一月ごろ右千代子から頼まれて千代子に一〇〇万円を貸したのが始りで、その後何回か千代子にその営業資金として金を貸し、昭和三七年九月ごろには、その総額一、〇〇〇万円に達したのであるが、さらにそのころ控訴人寺野は千代子から一、〇〇〇万円の借金申込を受けた。元来、控訴人寺野自身手持の金があつたわけでなく、それまで貸した金も親類知人から借りて用立てたものが多かつたし、新たに貸すべき金についても同様であつた。それで、控訴人寺野は新たに貸金をするについては担保を入れてもらうべく見田夫婦と交渉した結果、見田両名が共有する原判決添付第一目録記載の土地と右地上にある古い建物をとりこわして見田夫婦が同地上に新築すべく予定していた建物とを担保に入れてもらうこととなり、見田両名もこれを承諾した。その内容は、控訴人寺野がすでに貸した一、〇〇〇万円、新たに貸す一、〇〇〇万円さらには爾後貸与することあるべき貸金債権を担保するため、見田両名は右土地建物を控訴人寺野に譲渡するというものであり、譲渡根担保というべきものであつた。もつとも、その所有権移転登記は、右土地が都市計画の区画整理事業対象地であり、その地上にある前記旧建物の移転除去などに伴う補償金請求の関係上、右建物をとりこわし担保対象建物の新築完了までしばらく猶予する旨合意され、見田夫婦は右土地の権利証、売渡証、白紙委任状、印鑑証明を控訴人寺野に交付し、また印鑑証明はその後三月ごとに新しいものと取かえ渡していた。その後も、控訴人寺野は見田夫婦の求めに応じ、同人らにさらに資金を貸し増し、昭和三九年二月ごろには総額三、〇〇〇万円余になつたのであるが、その間見田からは月々の利息金の支払もあり、他に債務があるとも知らされていなかつたので、その事業は破綻なく遂行されているものと思い、疑念を懐きもしなかつた。右昭和三九年二月ごろまでには前記担保対象の新築家屋も完成したので、控訴人寺野は見田両名に右土地建物所有権移転登記の約を実行するよう求めたが、書類が整わないなどいわれ、その実行がおくれていた。ところが、同年五月一九日突然見田千代子は家を出たまま姿を消し、これをきつかけに見田両名への債権者たちが見田方に押しかけ、見田両名は控訴人寺野への債務のほかにも多額の債務があり、支払不能の状況にあつたことが判明するに至つた。控訴人寺野も同日見田方に行つてこの状況を知り、千代子に代つて後事を取りはからう権限ある見田鐘一に申入れて前記土地につき同月二三日前記約定に基きその所有権移転登記を受け(ただし、登記原因は同月二〇日代物弁済として)、さらに翌六月一日前記建物につき同様自己名義に保存登記した見田鐘一からその所有権移転登記を受けた(その登記原因は同日付売買として)。

以上の事実が認められ、これを覆えすにたりる証拠はない。そして、以上の事実によれば、控訴人寺野は右土地については昭和三七年九月末ごろ、建物については昭和三九年二月ごろには、これを譲渡担保として取得したものであり、被控訴人主張のように昭和三九年五月ないし六月その所有権を取得したものとはいえないのみならず、控訴人寺野は右昭和三七年九月ないし昭和三九年二月当時、右不動産譲受けが、他の債権者(当時の債権者がそのまま見田等の破産債権者であり、右譲渡がそれら債権者を害するものであつたとしても)を害するものとは知らなかつたものと見られるので、右日時の譲渡日も破産法第七二条第一号で否認されうべきものではないというほかない。

もつとも、右譲渡が否認の対象とならないとしても、前記各登記行為は同法第七四条所定の否認対象たりうるものと解する余地もないではないが、被控訴人は見田らの支払停止あるいは破産申立の日時など同条所定の要件事実をついに主張せず、また同条所定の否認権を行使しないままに終つているので、この点は、裁判所として判断すべくもない。

右のとおりである以上、その他の点を判断するまでもなく、被控訴人の控訴人両名に対する本訴請求は失当というほかないので、これと結論を異にした原判決を取消し、被控訴人の控訴人両名に対する請求を棄却し、訴訟費用は第一、二審を通じ敗訴した被控訴人の負担として主文のとおり判決する。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例